ニキニキニッキーニッキ書評

ちょっとした発見と書評が

飲食店に忘れ物を取りに来たらご飯を割引き、ってどうでしょう。

この前とある飲食店に行った時に見かけたのだが、誰かがお店に入ってきて、忘れ物を訪ねていた。傘を忘れていたらしく、お店の人も「ああ、アレですね」という具合にすぐにソレを取り出して、忘れん坊さんは助かったと会釈をしながら手早く帰ってしまった。
もったいない!!!

この「忘れ物を取りに来た客」というのはリピーターとして取り込むことが可能なのでは?とその場で私は感じた。 例えば、「忘れ物を取りに来たらごはん100円引き!」みたいなサービス、言わば「忘れ物割引」を張り紙で告知でもしてみてはどうだろう。

リピーターとして獲得できそうな理由

以下にいくつか要点を挙げよう。

ついでにご飯を食べるかもしれない

もちろん忘れ物を取りに来たその人は後に用事があるというなら帰るのは仕方がないが、夜ご飯もついでにそこで食べよう、という可能性は十分にあったはずである。

「忘れ物割引」を明言することで、忘れ物はある程度保管してますということをアピールできる

つまり、この店に来たことがあって、かつ、忘れ物をしてしまった人は、まずこのお店を思い出しやすい。実際にこの店で忘れたのかどうかはこの際そこまで関係は無い。思い出してくれればそれで十分宣伝としての効果はある。ご飯でも食べながらどこに物を置いてきてしまったのかゆっくり考えてもらえればその人の為にもなるだろう。

意図的に忘れ物をすることは面倒なのでしない

わざと物を忘れて割引をもくろむ人もあまりいないだろう。費用対効果が吊り合わない。わざと忘れても結局リピーターになってもらえるわけであるし。値段設定をよく決めれば大丈夫であろう。

以上である。個人的にも、忘れ物をたくさんする人間であるので保管をしてもらえると助かるのでこういうサービスがあると嬉しい。

力を集めるとバラバラだった時より少し大きくなる、という単純な理屈こそが会社という組織が存在する理由だろう。

こういった現象はよくあるものだ。例えば、寒い地域に住む生物は大きい。これは、肉体が大きければ保有する熱量が3乗に比例する一方、逃げる熱量は表面積、つまり2乗に比例する。だから大きければ大きいほど、相対的に失う熱量が少ない。後は重力との兼ね合いでサイズが決まるのであろう。海中なら地上よりもっと大きくなる。(地上よりかは熱を奪われるが、それ以上に重力の影響が大きかったのだろう)
仕事の場合も、沢山の人間がいたほうが同時にこなせる量が増えたり、社内の雑務も、人が多くいれば人との間の作業をパターン化して効率化できるかもしれない。他にも、役割分担といったいろいろなメリットがあるだろう。
逆に考えれば、バイトなどは企業の仕事を極限まで分割していった状態なので、時給がよくないと考えることも出来るかもしれない。バイトのメリットはフットワークが軽いということだ。先ほどの例で言えば、熱帯の小さな生物に対応するだろう。体を小さくすることで、生成する必要のある熱量が少なくすむ。気温が高いので熱が失われにくい。

であるならば、会社に就職するときは、なんでその会社に入らないといけないのか、ということくらいは考えた方がいい。企業に入ってからも、そういった内部の効率化が行われているのか、その会社を支えているものは何か、(効率化、市場、商売の切り口)ということを意識しよう。
逆に、多人数であるがゆえのデメリットにも注意した方がいい。今後日本の人口が下がっていく場合、相対的に日本の企業の従業員数は下がる。これはかなり気をつけた方がいい。政府が人口減少の対策をしないか、しても失敗した場合は、日本全体に大きな影響が、一度の衝撃のようにではなく、数年かけてグググっとあらわれると思う。(一年で人口が急に減るわけではないので)
そのひとつの影響として、企業に訪れるものが、私達個人への直接的にふりかかる、恐るべきものだろう。

実用書の選び方について

セールやってたので古本屋へ行ったぞ

自分に役にたつ本を探そうと思って、古本屋(ブックオフ)にて実用書を探しました。
いわゆる実用書にもいろいろあって、本屋で歩いて気づいたのは、だいたい実用書はふたつに分けられるということ。
1. 目的が明確な実用書。古本屋だと分野ごとに分けられておいてあったりする。
2. 目的が曖昧な実用書。仕事のやりかた、みたいな内容。経営、仕事、勉強法、といった部類。

目的が明確な本は選ぶのは難しくない

前者はわりと選ぶのに困らない。目的が明確な実用書で、入門書の部類は、評判(amazonのレビューなど)は順当な評価をされている。専門書の場合は母集団が少ないのでレビューも少ない。買う側が選ぶ能力も要求されるべきなのであろう。

目的が曖昧な本は、自己啓発に侵食されている

後者はそうはいかない。仕事の仕方とか勉強法というのには、自己啓発といった分野が侵食しているからだ。私は最近これを知ったのだが、非常によくないものである。自分で自分を元気づけるという行為自体は全く悪いことでは無いと思うのだが、情報を探す側としてはノイズ以外の何物でもない。
「人を啓発する本」というものは、基本的に情報を提供するものではない。エールを送っているようなものだ。なぜそういう本があるかといえば、エールを買いたい人がいるからだろう(あるいは役に立ったという錯覚が欲しいのかもしれないし、そのことに気づいてないかもしれない)。つまり買う側の問題とも言えるので、売る側ばかりに責任を追求するのは酷かもしれない。直接役に立つ内容を書かずに、いい気分にさせる文章を書いて本が売れるのだから、割のいいビジネスである。私もそういう文を書く能力があれば挑戦したいものだ(嘘)。

こういう自己啓発本が多いね

しかし仕事関連の役に立つ本を探している側としては迷惑ばかりであって、こういった分野の本棚をじっくり眺めてみたが、買うべきかもしれないと感じたのは1%にも見たないようだ。
第一に、自分勝手な内容が多い。こうすれば役に立ちますよ、というTipsのような内容を20個程度で本なんて出版しないで欲しい。そういうのは大抵、自分の経験で良かったと思うことをそのまま書いているだけで、それがどのくらい良いものであるかを論じているものは殆ど少ない。
第二に、具体的すぎる。「○○をしなさい!」「どうして出来るビジネスマンは○○をするのか?」等。これは先ほど言ったTipsのようなことでひとつの本にしてしまったのだろうか。実際は役に立つ情報もあるものもあるのだろうか?役立つ情報を書いておいてそんなカッコ悪い題名をつけるのは迷惑な話である。実はそういう本も多いのだろうか?(中身を見てないので分からない)。

それでも実用書全体を切り捨てては勿体無い

そうはいっても、仕事の仕方、勉強の仕方というのはかなりコストパフォーマンスの高い分野であるはずなので、多少良い本を探す努力をするべきであると感じているので、時々じっくり本屋で棚を眺める。自己啓発で辟易している人も多いと推測するが、そういう本が多いからといって役に立つ本が無いことの証明にはならないだろう。
楽して金を稼ぐ方法は絶対本にされるはずが無いのだが、じゃあどういう内容なら公開されうるのか。という点を気にして本を探してみてはどうでしょう。

そういうわけで、三冊程買ってみたが、一冊はゴミのような本であった。うーん、ままならないものである。セールだったので一冊200円もしなかったので、この失敗を活かして元をとりたいところである。

年賀状は役に立ちましたか?

現在まだ帰宅していないので分かりませんが、今年も私の年賀状はゼロ枚だと思います。SNSでは年賀状の枚数を気にしている人もいましたが、そこで提案。年賀状をやめてみませんか?
私自身は、年賀状を作るのが面倒だと高校生時代感じていたので、大学入学と共にやめてしまいました。二年目には届く枚数が結構減り、三年目にはほぼゼロでした。これはつまり、ほとんどの人は返信を求めて年賀状を出しているということでしょうか? (たとえ私が年賀状を出していたとしても届く枚数は減っていったかもしれませんけれどね!笑)
あるいは、送付する年賀状の削減のために、昨年音沙汰なかった人には送らないでいいかという判断でしょうか。

なんで年賀状を出すんだろう?

私自身がやめたのは、年賀状を送るのも貰うのも、全く嬉しいと感じないという単純な動機からです。新生活で新しい知り合いが出来たとき、年賀状を送るからと住所を聞かれたときも「いらないからいいよ。年賀状はしないことにしてるんだ」と素直に伝えます。
仲の良い遠くにいる友人の近況も、会ったときに聞けばいい訳ですし、仲のよくない人ならわざわざ知りたくもない。自分の近況も伝えたいとは思わない。

年賀状を送りたい人々の意識調査をしたことがないので厳密な話にはなりませんが、極端な話、遺伝子レベルの本能で無いのだから、年賀状の習慣が必要だと思ったり年賀状をださないと不安だと思うのは、それは今まであなたが年賀状をだし続けて来たこと以外に原因はないと思います。
ただ、仕事の関係上ださないとまずいという場合は、それは年賀状どうこうの問題じゃなくて仕事の問題なので、自由にすればいいとおもいます。私は特にそういったしがらみも今はないですが、今後職場が変わって環境が変われば、年賀状も出すかもしれません。要は仕事として年賀状を出すまでです。以上の話は仕事としてじゃない年賀状の話ですよ。

年賀状がいつからの慣習なのかは存じませんが、インターネットも発達した今、習慣の見直しをしてみてはどうでしょう?
案外、私が知らないだけで同じような人も結構いるのかもしれませんね。

ひとつのコミュニティに縛られないで、いろんなとこに顔を出してみよう

なにかの趣味のコミュニティとか、運営とかで行き詰まったら、他の分野に顔を出してみよう。類似点や相違点が見つかって、いろいろ参考になるかもしれない。たいてい、好きなものに対しては客観的に見れないので、一旦離れるっていうのは後で冷静に見つめなおしたりすることもできるし、良いものですよ。
他にも、これは読書の本選びなんかにも役に立ちます。例えば、自分が勉強をしたい、と思った時に、勉強の本では無く、教育の本を選んでみる。自分で自分を教育するという観点でよんでみよう、ということだ。 (もちろん素直に勉強の本を読むことも忘れずに!) そうやって、物事をいろんな切り口から見てみる。私もまだまだ十分実践できていないけれど、ときどき便利です。その場ですぐに、知らない分野がどんなものなのかを予測をつける時などが、特に活かせます。

数字という観点から

たとえば、人数という比較をしてみましょう。自分の趣味や所属する企業はどのくらいの人数なのか。それと、テレビなどでふと見つけたコミュニティとかはどのくらいの人数なのか。
単純な市場調査にも使えます。たとえば、美容院店舗数とかを記憶してみてはどうでしょう。厳密でなくてもいいのです。二十万店舗くらいあるらしいです。日本人口を一億三千万とすれば、650人に一店舗。一人は2カ月に一回髪を切ると仮定すると、一日の一店舗に10人くらい。割と妥当な数になることがわかります。
一時期、どこかで「ヘアカットのモデルを美容師とマッチングさせるサービス」というものがリリースされたを見たのですが、こういう数字を見てみると、このままではこのビジネスは元が取れないのが良く分かります。カットモデルを応募してみようと思う人数であるとか、地理的にいけるかどうかとか、いろいろ要因がありますので、その数字もアタリをつけてみていくとよくわかります。

こういった大体のデータをもとに、類似する仕事や趣味を、母数を考えて考えたりすると、数字のアタリをつけるのに良いです。「○○があるといいよな」といった発想にもとづいてビジネスを始めたいとき、それでどのくらい人がくるのか?という時に、いろんな分野で事前にこういった数字いじりをしているときっと見込みに大きな誤差が現れないと思います。

質的な観点から

各分野は、そのメインメンバーの発展であったり、新規顧客(入門者)などへのサービスなどいろいろ取り組んでいるはずです。そういうのも、分野を超えて比較してみてはどうでしょうか。知らない分野を見てみたら、とてもいいシステムがあったりして、それを自分の領域にも適応させてみよう、なんて風になるかもしれません。その時は、もちろんそのシステムがどうやって成立しているかを考えて、自分の領域で活かしづらいならうまい対応を考えたりしていろいろ挑戦してみたり、諦めたり。

私もまだまだたくさんの分野、領域をのぞきに行こうと思います。また面白い発見があったら日記にしよう。それでは。

「この本読んだよ」よりかは、「この本を読んで考えたこと」を日記につけた方が良いね

読んだ本を記録するサービスを使っているが、感想を書ける文字数が少なかった。こちらに読んだ本の記録と、考えたことをまとめていこう。
今日のは教則?の本なので、考えたことは少ないけれど。

最近読み終わった本

「いきなりはじめるPHP ワクワク・ドキドキの入門教室」 谷藤賢一 著
非常にわかりやすかった。いままでPHPが何なのかもわからなかったが、ネットで多少調べて、アマゾンで検索して良さそうな入門書として購入。
やる内容としては少ないが、実際に手を動かして何か楽しげなところまですぐに連れてってくれる。つっかかりさえなければ数時間で終わる。私の場合、ミスをして気づくまで数時間かかったりして、8時間くらいかかってしまったが、「なあんだ!結局スペルミスかよ」ってなってそんなにイライラはしなかった。
中身についてはそんなに解説する必要はないだろう。詳しい説明はおいておいて、とりあえずPHPでデータベースを操作したりするところまでがわかりやすく解説されている。

「わかりやすさ」について

中身というよりかは、この本の方針の方が気になった。非常にわかりやすく書かれている。プログラムなどをパソコン関連の話題は、めまぐるしく変化していくので、わかりやすく解説出来る人が少ないのと、あとは大抵の人がパソコンが好き?なので、客観的に物事を説明できないのと、あとは厳密性に配慮しすぎて「伝える」というとても大切なことをないがしろにしているように思われる。その点この本は、本に説明されてる通り、著者はプログラムの教室を開いて教えてきた中で、わかりやすく伝える技術や、PHPのつまずくポイントなどをよく把握していたのであろう。
最近は個人のブログなどにちょっとしたプログラミングの解説などが書かれていて、結構わかりやすかったりもする。不必要に長いという特徴もあるが。 一方、本当に説明が下手くそな文章、あるいはわかりにくい「分野」、「制度」というのは非常にイライラする。最近イライラした文章はこれだ。

Apache Tomcat (アパッチ トムキャット) は、Java Servlet や JavaServer Pages (JSP) を実行するためのサーブレットコンテナ(サーブレットエンジン)である。Apache License, Version 2.0を採用したオープンソースソフトウェアであり、商用利用も多い。バージョン 7.0 は、Java Servlet 3.0、JavaServer Pages 2.2対応で、Java 6 以降が必要。 2005年以降、Apacheソフトウェア財団のトップレベルプロジェクトのひとつであるApache Tomcat Project 内で開発されている 。それ以前はかつて存在していたJakartaプロジェクト内で開発されていた。

wikipediaより。厳密性のためには仕方ないのだろうが、はっきりいって不愉快でしかない。これは別に、どこかの誰かに対して不満を抱いているのではなく、こういう分かりにくい解説しか書かれない世の中、制度というものに苛立っているのである。こうやって少しでも制度への苛立ちを共有すれば、いつかは賛同者も増えて、わかりやすい解説にあふれた世の中になるかもしれない。
このTomcatというもののわかりやすい解説文が現れる頃には私はこの言葉の意味を覚えてしまうかもしれないが、制度として、わかりやすい文章が増えて欲しい、と願うばかりである。

ただ、このわかりにくさ、というものを誘発しているのは、ひとつの何らかの枠の中に自分が没入しているということを当人が自覚できない、というようなことによって生じるように思える。ので、なかなか改善はされないだろう。少なくとも私の言葉がわかりやすく伝わるように、毎日日記でも書いて訓練をするか、と思った次第である。

良い本でした!

とまあ、考えつつも、この本は本当に良かった。続編が出ているみたいなのでそちらも勉強しつつ、他のPHPの入門書などを買ってみようかしら、と思います。良い本でした!

働かない時代、というのは来るのか?

はっきりいって私は働くのが嫌いだ。可能ならずっと部屋から出たくない。年末で仕事がなかったここ数日も食事等の理由以外で外出してない。
部屋から出るか出ないかは個人の生活の様式であってどちらでもよいのだが、働く働かないは、もう少し切り込める。例えば、紀元前のエジプトとかでピラミッドを作ってた人たちと比べれば、絶対現代のほうが働いてない(疲れない?)と思う。
それは、現代は奇妙に大きい墓を建てる文化が無くなったからといえばそのとおりだが、ビルなどは建設機械によって建てられるようになったからだともいえる。つまり、機械化、効率化によって人の仕事は減っていくはずだということ。

それならば、衣食住に関わる業務がひたすら効率化していけば、どんどん人の労働量の平均も減っていって良いもののように気がするが、どうだろう。残念ながら100年前の労働量を実感したことないので体感の比較は無いが、なんというか、もっと仕事をしないでいい世界になってくれないかなあ、と思う。いや、客観的に見れば、かなり仕事はしてないかもしれない。

効率化すれば、どこかでその分得をするはずで、それが再配分されてないのかもしれない。もちろん効率化を思いついたら、思いついたその人の利益になって当然である。再配分という観点では、働けば税金を取られるし、それも機能している。

しかし、それでも人は2013年現在、働かないと生きていけない。
日本(あるいは世界)全体で、衣食住ともうちょっと文化的な生活をするための費用(パソコンとか)と、人々が生産している価値を比べて、生産している価値の方が多ければ、働かないで良いはずなのだが。

しかし、たとえばフリーターで生活するのは、割りとその場だけで考えれば楽かもしれない。一日4時間働けば、生活する環境をうまく選べば暮らせる。将来の備えとかはなにも考えなければ。
一方、将来に備え始めると、途端に長い時間拘束されないと、お金が大量に手に入らない(あるいは、将来も労働させてもらう権利を失う)。不思議である。なんというか、雇う側の理屈であるな、と感じる。最もだが、雇われる側、あるいは個人としては、ちょっとフリかもしれないので自分で色々考えたほうがよい。

うーん。過去の歴史の中の、重労働を当たり前としてきた人たちからすれば、私達の生活は天国なのかもしれない。それでも、未来の為に、より働かないですむ世界というものを追い求めたい。少なくとも自分と友人のためにも。