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恐ろしいほどに"許可"や"善悪の判定"をしたがるネットの人たち

はてなブログやそれ以外いろいろを見て思うのが、トップページの人気エントリーなどで、わりとみっともなくてカッコ悪いことが多く話題にされている。
あんまりネット上で話題になってることを取り上げるのはカッコ悪いのでしたくないのですが、最近こういうのを眺めていてギョッと思ったのでまとめておこう。

ネット上で話題になってることってどんなことだろうな~と思って人気エントリー人気の記事)であるとか、Twitterでリツイートされてくるものを眺めていると、だいたいこんなふうに分類されるかな、と思います。

  • 純粋に面白い、笑える、悲しい。(直接に感情的なもの)
  • 真面目な主張 斬新なアイデアや発想
  • 善悪の判定や許可を求めてるもの

普通の日常では、善悪を判定なんて滅多にしない

特に最後の部分が、今回取り上げたい部分なのです。上の2つや、この箇条書きに分類しきれなかったことは、大抵現実世界でもやってきた行動なのです。面白いことを言ったり、ねえねえこれすごいよ!とかいったり、もしかしてこれこうしたらよくね?とか。コミュニケーションの中で通常に出てくるもの。

ただ、「善悪の判定」ってのは、現実の会話では少ない。(もちろんゼロではない。時々は言う時もあろう)
普通そんなことはしない。「在日野郎は日本にいるべきじゃないよな!」とか友人にいったその友人が在日だったらどうするの?一度でもそんなことしてしまえば、自分がどれほど酷いことをいったか大変実感できると思う。

こういった極端なことじゃなくても、ちょっと寝不足の時に奇妙にイライラして、後でしっかり休んで思い出すと、「あれ、なんであんなにイライラしてたものなんだ。寝不足は怖いなあ」と思うし、他人がイライラしてても、寝不足なのかもしれないしどうにも大変な事情があるかもしれないと、想像するものだ。多少悪いことでも、他の事情や他の善のためかもしれない。簡単に一般論など当てはめられないものだ。

一方、ネット上の”一時的な話題”ってのは、恐ろしいほどに「善悪の判定」を求めていると思う。もしも知り合いでこんな奴いたら、ソッコーで距離を置くぞ、みたいなことを平気で話題にしまくっているのである。最近ので覚えてるのは、人工知能学会の表紙の話かな。そんなのどうでもいいのに、良いか悪いか、みたいなことばっかり書いてあって気持ち悪い。

ただ、そういうことを書くのも、絶対悪なわけではない。議論は必要なことも、もちろんあろう。当てはめるのは難しくても一般論は大切だ。ただ、ネットだと大抵の場合、個人が勝手にいいたいことを書くだけで議論でも何でもないので、そういうことをしないほうがいい。しても得がない。書いた人が勝手にスッキリするだけで、非常に気持ちが悪い。

話題に反応をしているのは千人に1人

そしてもう一つ主張しておきたいのが、そういう「善悪の判定」であったり、何らかの反応を示すのは、全体のユーザのごく一部であるということ。

反応しない大半の人をサイレントマジョリティといったりもするらしい。サイレントな訳だからだいたい計測をすることは難しい。ウェブサイトならアクセス数と書き込み数の比較などが出来るのだが、あまりそういうのは見れないし見ないだろう。

一番手っ取り早くてあなたにも出来る、サイレントマジョリティを実感する方法は、Youtubeを見ることである。有名な動画の再生数と、高評価(+低評価)数を見てみよう。ジャンルによってちょっと違うこともあるが、だいたい1000分の一なのである。

つまり、1クリックの反応を示すのはだいたい1000人に1人で、逆にいえばネット上の話題につい反応してしまう人たちというのは1000倍の予選を勝ち残ってきた「書き込みたがり」なのだ。評価ボタンと書き込みの労力は随分と違うから、もしかしたらそれ以上の倍率かもしれない。つまり僕もその1000人の1人の馬鹿者であるだろう。

そういうネットの人たちが集まって話題にしていようと、全体の1000分の一である。そんなにムキにならないで、「あ、そう」だとか「こうやってムキになってる野郎どもは1000人に1人の馬鹿なんだぜ」とサラリと流せる能力を多くの人につけてほしい。