ニキニキニッキーニッキ書評

ちょっとした発見と書評が

行動に対するモチベーションを上げるより、その行動を極限までこっちに下げよう

よくある話といえば良くある話かもしれない。

モチベーションを高めたい、と私はよく思ったものだし、多くの人も同じだと思うが、冷静になってみよう。いままでモチベーションについてたしかな感触を持ったことがない、モチベーションというものがいったいどういうものなのか認識し実感したことないのに、それを良いものであるというか、自身が扱うものとして認めてやるのはおかしい。

熱中すると大変よく頭を使い、物事も進んだり、ものによっては勉強になったりして、なにかに熱中するというのはなんだかとても良いものであると思える。これはそのとおりだと思うし、可能な範囲で熱中が引き起こされるようにするのも価値は有ると思うが、基本的に熱中というものは、しようとおもってするものではなくて、なってしまうものだ。

やらなきゃいけないのに、あるいは、やりたいのにできない。といった対象にモチベーションを期待するのは、株を守りて兎を待つ状況に近い。
熱中は、起こってみれば大変よいものだが、基本的に人間はやらなくてはいけない仕事が多く降りかかって、熱中を待ってはいられないような社会に、現在はなっている。

「向こう」に上り詰める現象が「熱中」で、それが引き起こされないなら、「向こう」をこちら側にひきずり下ろしてやるのがひとつの解決手段だろう。
熱中が引き起こされるのを待つよりかは、こちらは比較的、意図して、機械的にこれをこなせるようだ。
熱中とは逆で、こちらはどちらかというと冷静さであったり、全体を見下ろす客観性が大事になる。

熱中とは逆のアプローチとして、冷静さを要求されるのは、面白いようでいて当たり前なのかもしれない。