ニキニキニッキーニッキ書評

ちょっとした発見と書評が

働かない時代、というのは来るのか?

はっきりいって私は働くのが嫌いだ。可能ならずっと部屋から出たくない。年末で仕事がなかったここ数日も食事等の理由以外で外出してない。
部屋から出るか出ないかは個人の生活の様式であってどちらでもよいのだが、働く働かないは、もう少し切り込める。例えば、紀元前のエジプトとかでピラミッドを作ってた人たちと比べれば、絶対現代のほうが働いてない(疲れない?)と思う。
それは、現代は奇妙に大きい墓を建てる文化が無くなったからといえばそのとおりだが、ビルなどは建設機械によって建てられるようになったからだともいえる。つまり、機械化、効率化によって人の仕事は減っていくはずだということ。

それならば、衣食住に関わる業務がひたすら効率化していけば、どんどん人の労働量の平均も減っていって良いもののように気がするが、どうだろう。残念ながら100年前の労働量を実感したことないので体感の比較は無いが、なんというか、もっと仕事をしないでいい世界になってくれないかなあ、と思う。いや、客観的に見れば、かなり仕事はしてないかもしれない。

効率化すれば、どこかでその分得をするはずで、それが再配分されてないのかもしれない。もちろん効率化を思いついたら、思いついたその人の利益になって当然である。再配分という観点では、働けば税金を取られるし、それも機能している。

しかし、それでも人は2013年現在、働かないと生きていけない。
日本(あるいは世界)全体で、衣食住ともうちょっと文化的な生活をするための費用(パソコンとか)と、人々が生産している価値を比べて、生産している価値の方が多ければ、働かないで良いはずなのだが。

しかし、たとえばフリーターで生活するのは、割りとその場だけで考えれば楽かもしれない。一日4時間働けば、生活する環境をうまく選べば暮らせる。将来の備えとかはなにも考えなければ。
一方、将来に備え始めると、途端に長い時間拘束されないと、お金が大量に手に入らない(あるいは、将来も労働させてもらう権利を失う)。不思議である。なんというか、雇う側の理屈であるな、と感じる。最もだが、雇われる側、あるいは個人としては、ちょっとフリかもしれないので自分で色々考えたほうがよい。

うーん。過去の歴史の中の、重労働を当たり前としてきた人たちからすれば、私達の生活は天国なのかもしれない。それでも、未来の為に、より働かないですむ世界というものを追い求めたい。少なくとも自分と友人のためにも。